昭和三十年、国立信州大学医学部に入学いたしました。昭和三十六年四月、信大医学部卒業。
一年間のインターンの後、医師国家試験に合格。同時に信大医学部大学院に合格。外科学教室で、勉強することになりました。四年間の大学院生活を終えて、昭和四十二年卒業することができました。第一外科学教室に入局。昭和四十二年四月まで寝る暇のない毎日を大学病院で過した後、長野県厚生連佐久総合病院外科に入職。農村医学の前駆者である若月俊一院長先生のモットーである「良い病院というのは、必ずしも病床数が多いとか、高度機能を備えていることとは関係がない。地域住民のニーズにどのように応えているかで決まるのである」との教えもとに、医師及び外科医としての在り方を徹底的に教え込まれました。医師として、患者さんに如何に対峙すべきかという、最も大切な心構えを教えていただけたと考えております。若月院長先生との出会いが、私が町医者として如何に生きて行けば良いかということを決定づけてくれました。
このような心構えを根本に据えて今日まで一人の患者さんの訴えを充分に聞き、視診、触診、聴診を疎かにせず、誤診しないように努力してまいりました。この様にしても、正しい診断ができない時には、できるだけ早く専門医のところへ紹介するように心掛けてきました。患者さんの私に対する信頼を裏切らないようにすることがモットーです。介護医療院【苅部太陽の家】を開設したのも、地域のニーズに少しでも応えられればとの事からです。私が最も大切にしている事は、患者さんと対等であること、患者さんが医師である私に望んでいることに対して、できるだけ満足できるよう努力することです。
以上、私の一町医者としての貫いてきた心構えです。